日本の春を象徴する花といえば桜ですが、その美しい姿を目で楽しむだけでなく、味覚や嗅覚で楽しむ文化として「桜茶」が存在します。結納や結婚式などの慶事で振る舞われることの多い桜茶は、湯の中でふわりと花開く様子が非常に縁起が良いとされています。一般的には市販の桜の塩漬けを購入して楽しむものと思われがちですが、実は適切な手順を踏めば、自宅でも本格的な桜の塩漬けや桜茶を作ることが可能です。
しかし、いざ自分で作ろうとすると、「どの種類の桜を使えばよいのか」「塩加減や保存方法はどうすればよいのか」「そもそも食べることはできるのか」といった多くの疑問が湧いてくることでしょう。また、スーパーなどで見かける塩漬けがどのように生産されているのか、その背景にある伝統や技術についても意外と知られていません。
本記事では、桜茶に使われる塩漬けの歴史的背景や適した品種の解説から、家庭で失敗なく作れる詳細なレシピ、さらには美味しい淹れ方や料理へのアレンジ方法まで、桜茶と塩漬けにまつわる情報を網羅的に解説します。
桜茶に使われる塩漬けの歴史や種類とは?知られざる奥深い世界
桜茶、あるいは桜湯と呼ばれる飲み物は、単なる嗜好品以上の意味を日本の文化の中で担ってきました。まずは、その文化的背景や、原料となる桜の品種、そして産地について詳しく掘り下げていきます。なぜ特定の桜が選ばれるのか、そこには明確な理由が存在します。
慶事における桜茶の役割と「お茶を濁す」ことの忌避
結婚式や結納、見合いの席などで桜茶が出されるのには、日本独特の言葉遊びとマナーの文化が深く関係しています。普段私たちが飲む煎茶や緑茶は、「お茶を濁す(いい加減なことを言ってその場を取り繕う)」や「茶々を入れる(邪魔をする)」といった慣用句を連想させることから、祝いの席では避けられる傾向にあります。
対して桜茶は、透明なお湯の中で塩漬けにされた桜の花が美しく開く様子から、「未来が花開く」という非常に縁起の良い意味を持ちます。一輪の花が湯の中で優雅に広がる様は、新郎新婦の門出や、新たなご縁の始まりを祝福する象徴として、江戸時代から現代に至るまで大切にされてきました。このように、桜茶は単なる飲み物ではなく、主客の心を繋ぐコミュニケーションツールとしての役割も果たしています。
塩漬けに最適な品種「八重桜(関山)」の特徴
花見で一般的に愛でられる桜といえば「ソメイヨシノ」ですが、桜茶の塩漬けにソメイヨシノが使われることはほとんどありません。食用の桜として最も一般的に使用されるのは、「関山(カンザン)」という品種に代表される「八重桜(ヤエザクラ)」です。これには植物学的な理由と、加工適正の理由があります。
まず、ソメイヨシノなどの一重咲きの桜は、花弁が薄く、塩漬けにする工程で形が崩れやすいという難点があります。一方、八重桜は花弁が幾重にも重なっており、厚みがあるため、塩漬けや酢漬けの加工に耐えうる強度を持っています。また、八重桜は色が濃いピンク色をしており、湯に浮かべた際に鮮やかに発色するため、視覚的な美しさが求められる桜茶に最適です。特に「関山」は、花が大きく見栄えが良いだけでなく、塩漬けにすることで独特の芳醇な香りが際立つ品種として重宝されています。
国内最大の生産地である神奈川県小田原市と秦野市
桜の塩漬けの生産において、日本国内で圧倒的なシェアを誇るのが神奈川県です。特に小田原市や秦野市周辺は、食用桜の栽培が盛んな地域として知られています。この地域で生産される桜の塩漬けは、伝統的な技法によって作られており、全国の和菓子店や料亭、一般家庭へと出荷されています。
この地域での桜の収穫時期は、開花状況にもよりますが、概ね4月中旬から下旬にかけて行われます。満開になる直前の、七分咲きから八分咲きの状態で手摘みされるのが一般的です。満開になってしまうと花弁が散りやすくなり、蕾すぎると湯の中で綺麗に開かないため、収穫のタイミングを見極める熟練の技が必要とされます。収穫された桜は、すぐに塩と梅酢(または白梅酢)を使って漬け込まれ、数ヶ月の熟成期間を経て製品化されます。この伝統的な製法が、品質の高い桜茶を支えています。
桜餅や桜茶の香りの正体「クマリン」の効果
桜の塩漬けや桜餅特有の、あの甘いバニラのような香りは、生の桜の花や葉にはほとんど感じられません。この香りは、塩漬けにする過程で生成される「クマリン」という芳香成分によるものです。植物の細胞内に配糖体として存在しているクマリンは、塩漬けによって細胞が壊れ、酵素が作用することで遊離し、特有の香りを発します。
クマリンには、リラックス効果や鎮静作用があると言われています。また、抗酸化作用を持つポリフェノールの一種や、ビタミン類も含まれており、美容や健康への関心が高い層からも注目されています。ただし、クマリンは肝毒性を持つ成分でもあるため、日常的に大量摂取することは推奨されていませんが、桜茶として一杯楽しむ程度であれば、人体への悪影響を心配する必要はありません。季節の移ろいを感じながら、適量を嗜むのが粋な楽しみ方と言えるでしょう。
自宅で楽しむ桜茶の作り方!塩漬けから保存方法まで徹底解説
市販の桜茶も手軽で良いですが、自分で収穫した桜(所有地や許可を得た場所にあるものに限ります)を使って作る塩漬けは、格別の愛着と風味があります。ここでは、八重桜を使った本格的な桜の塩漬けの作り方と、それを美味しい桜茶にするための手順を工程ごとに詳しく解説します。
収穫のタイミングと丁寧な下準備
美味しい桜の塩漬けを作るための最初のステップは、適切な桜の確保です。前述の通り、品種は八重桜(関山など)が適しており、七分咲きから八分咲きのものを軸(茎)ごと摘み取ります。公園や街路樹の桜を勝手に採取することは法律や条例で禁止されている場合が多いため、自宅の庭木や、知人の所有地、あるいは食用として販売されている生の桜の花を入手する必要があります。
【材料】
- 八重桜の花:適量(例:100g)
- 塩(下漬け用):桜の重量の20%(例:20g)
- 白梅酢(または米酢やレモン汁):適量
- 塩(本漬け・保存用):適量
【下準備の手順】
収穫した桜は、まずたっぷりの水で優しく洗います。花弁の間に入り込んだ埃や小さな虫を取り除くため、水を数回替えながら振り洗いを行います。強く洗うと花が痛むため注意が必要です。洗い終わったら、ザルにあげて水気を切り、キッチンペーパーの上に広げて半日ほど陰干しをして、表面の水分をしっかりと飛ばします。この水分除去が不十分だと、カビの原因になります。
第一次塩漬けと重石による脱水
水分を拭き取った桜を、ボウルまたは漬物容器に入れます。ここで分量の塩(桜の重量の20%)を全体にまぶします。塩が花全体に行き渡るように優しく混ぜ合わせたら、落とし蓋をして、その上から桜の重量の2倍程度の重石を載せます。
この状態で冷暗所に一晩から3日程度置きます。すると、浸透圧によって桜の花から水分(白水と呼ばれる液体)が出てきます。この工程は「白漬け」とも呼ばれ、桜のアクを抜き、組織を柔らかくするために不可欠なプロセスです。水が十分に上がってきたら、一度桜を取り出し、出てきた水分をしっかりと絞ります。この絞る作業を恐れずにしっかり行うことが、仕上がりの食感を良くするポイントです。
色鮮やかに仕上げるための梅酢漬け
桜の塩漬けを美しいピンク色に仕上げるために欠かせないのが、酸による発色作用の活用です。桜に含まれる色素成分であるアントシアニンは、酸性に傾くことで鮮やかな赤色やピンク色に発色する性質を持っています。
絞った桜を再び清潔な容器に戻し、ひたひたになるくらいの白梅酢を注ぎます。白梅酢がない場合は、市販の穀物酢や米酢に少量の塩を溶かしたもの、あるいはレモン汁で代用することも可能ですが、風味の点では白梅酢が最も相性が良いとされています。
再び軽い重石をして、冷暗所で3日から1週間程度漬け込みます。この期間に、桜の花はくすんだ色から、鮮やかで美しいピンク色へと変化します。また、酢に漬けることで保存性も高まります。
乾燥工程と保存用の塩まぶし
色が鮮やかに定着したら、桜を梅酢から取り出し、軽く絞ります。次に、ザルや巻き簾の上に重ならないように広げ、風通しの良い日陰で半日から1日ほど干します。この「陰干し」によって余分な水分を飛ばし、保存性を高めると同時に、旨味を凝縮させます。完全にカラカラに乾燥させるのではなく、しっとりとした柔らかさが残る「生乾き」の状態を目指します。
最後に、保存用の新しい塩をたっぷりとまぶします。この時の塩は、防腐剤の役割を果たすため、多めに使うのがコツです。清潔な瓶や密閉袋に入れ、冷蔵庫で保存すれば、1年間は美味しく楽しむことができます。時間が経つにつれて塩味が馴染み、香りも深まっていきます。
美味しい桜茶の淹れ方と料理への活用法
完成した塩漬けを使って、いよいよ桜茶を淹れます。そのまま湯に入れると塩辛すぎるため、まずは「塩抜き」を行います。
【桜茶の淹れ方】
- 湯呑み1杯につき、桜の塩漬けを1〜2房用意します。
- ぬるま湯を入れた小皿に桜を入れ、軽く振り洗いをして表面の塩を落とします。塩気が気になる場合は、5分ほど水に浸しておきます。
- 湯呑みに桜を移し、沸騰させたお湯(90度〜95度)を注ぎます。
- 蓋をして1分ほど蒸らすと、花がふわりと開き、香りが立ち上ります。
【料理への活用】
桜の塩漬けは、お茶以外にも幅広く活用できます。
- 桜ご飯: 研いだお米に、塩抜きした桜と少量の酒、塩を加えて炊き込みます。炊き上がりに生の桜を散らせば、春の香り豊かなご飯になります。
- お吸い物: 普段のお吸い物に浮かべるだけで、料亭のような上品な一品になります。
- お菓子作り: クッキーやパウンドケーキのトッピングとして乗せて焼くと、甘さの中に塩気がアクセントとなり、見た目も華やかになります。寒天やゼリーに閉じ込めれば、涼やかな春のデザートになります。
- 桜酒: 日本酒や焼酎に塩漬けを数輪浮かべると、ほのかな香りが移り、風流な晩酌を楽しめます。
桜茶の塩漬けと作り方に関するまとめ
桜茶の塩漬けと作り方についてのまとめ
今回は桜茶の塩漬けと作り方についてお伝えしました。以下に、今回の内容を要約します。
・桜茶は湯の中で花開く様子から縁起が良いとされ結納や結婚式で重宝される
・「お茶を濁す」という言葉を避けるため慶事では煎茶ではなく桜茶が好まれる
・塩漬けに使われる主な品種は花弁が多く加工に強い八重桜の関山である
・ソメイヨシノは花弁が薄く崩れやすいため塩漬けには不向きである
・国内の主な生産地は神奈川県の小田原市や秦野市で伝統製法が守られている
・特有の甘い香りは塩漬け工程で生成されるクマリンという成分によるものである
・自宅で作る際は七分咲きから八分咲きの八重桜を収穫し丁寧に水洗いする
・最初の塩漬けでしっかりと水分を出しアクを抜くことが食感を良くするコツである
・鮮やかなピンク色を出すために梅酢や酢に漬けてアントシアニンを発色させる
・乾燥工程では完全に乾かさずしっとりとした生乾きの状態で仕上げる
・保存時はたっぷりの塩をまぶして冷蔵庫に入れることで約1年間の保存が可能である
・桜茶として飲む際はぬるま湯で軽く塩抜きをしてから熱湯を注ぐのが基本である
・お茶だけでなく炊き込みご飯やお吸い物やお菓子作りにも幅広く活用できる
・手作りの塩漬けは市販品にはない愛着とフレッシュな香りを楽しむことができる
桜茶は、日本の四季と日本人の美意識が凝縮された文化です。
手間をかけて作った桜の塩漬けが、湯の中でゆっくりと花開く瞬間は、春の訪れを五感で感じる贅沢な時間となるでしょう。
ぜひ次のシーズンには、ご自身の手で桜を漬け、食卓に春の彩りを添えてみてはいかが
でしょうか。

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