春の訪れとともに日本列島を覆い尽くす、黄色い悪魔。花粉症は、今や国民病とも呼ばれるほどの社会問題となっています。目のかゆみ、止まらない鼻水、そして低下する集中力。多くの人々がこの季節になると、憂鬱な日々を過ごすことを余儀なくされています。その苦しみの中で、多くの人が一度は抱く疑問があります。「一体、誰がこれほどまでの杉を植えたのか」「国民を苦しめる杉を植えた戦犯は誰なのか」という、怒りにも似た問いかけです。
インターネット上やSNSでは、この「戦犯」という強い言葉を用いて、過去の政策や特定の人物を批判する声が後を絶ちません。しかし、感情的な批判だけでは見えてこない、複雑な歴史的背景や経済的な事情がそこには存在しています。なぜ日本中の山々は杉だらけになってしまったのでしょうか。そして、なぜそれを伐採して別の樹木に植え替えることがこれほどまでに進まないのでしょうか。
本記事では、単なる犯人探しにとどまらず、戦後の日本が歩んできた復興の歴史、木材需要の変化、そして林業が直面している構造的な課題について、多角的な視点から徹底的に調査を行いました。現代社会に生きる私たちが直面している花粉症という問題の根底にある、日本の森林政策の光と影を浮き彫りにしていきます。
杉を植えた戦犯は誰なのか?戦後の拡大造林政策を振り返る
「杉を植えた戦犯」という言葉が指し示す対象を探るためには、まず時計の針を戦後の日本へと巻き戻す必要があります。現在の日本の山林の風景は、自然にできあがったものではなく、人間の手による強力な意志と政策によって作り変えられた結果です。当時の日本が置かれていた状況と、国が主導した一大プロジェクトの詳細を紐解いていきましょう。
荒廃した国土と復興への焦燥
第二次世界大戦が終結した直後の日本は、文字通り焼け野原でした。主要な都市は空襲によって焦土と化し、地方の山々もまた、戦時中の乱伐によって荒廃の限りを尽くしていました。戦争遂行のための物資として、あるいは燃料として、森林資源は限界まで収奪されていたのです。
終戦を迎えた日本にとって、国家再建は待ったなしの課題でした。家を失った人々には住宅が必要であり、破壊されたインフラを復興させるためにも、膨大な量の木材が必要とされていました。しかし、当時のハゲ山同然となった日本の山林には、その需要を満たすだけの資源が残されていませんでした。さらに、森林の保水力が失われたことによる土砂災害や洪水が頻発し、台風が来るたびに多くの命が奪われました。
このような危機的状況下において、政府は「国土の緑化」と「木材資源の確保」を最優先事項として掲げました。ハゲ山に木を植え、洪水を防ぎ、復興資材を確保する。これは当時の日本国民全員の悲願であり、正義そのものでした。この切迫した状況こそが、後の杉林だらけの日本を生む出発点となったのです。
なぜ他の樹木ではなく杉と檜が選ばれたのか
植林を進めるにあたり、なぜこれほどまでに「杉」と「檜(ヒノキ)」に樹種が偏ってしまったのでしょうか。これには、生物学的な特性と当時の建築様式が深く関係しています。
杉は、日本固有の樹種であり、日本の気候風土に極めて適しています。他の樹種に比べて成長のスピードが格段に速く、植えてから数十年で建材として利用可能になります。また、幹が真っ直ぐに伸びる性質を持っているため、木造住宅の柱や板材として加工しやすく、歩留まりが良いという利点がありました。檜も同様に、高級建材として古くから重宝されており、耐久性と香りの良さから高い経済価値が見込まれていました。
当時の日本家屋は木造が主流であり、復興のためには「質より量」、そして「早さ」が求められていました。広葉樹は成長に時間がかかり、建材としての利用効率も針葉樹には劣ります。一刻も早く成木となり、換金でき、住宅資材として使える木。その条件を完璧に満たしていたのが、杉と檜だったのです。当時の林野庁や専門家たちが、復興の切り札としてこれらの樹種を選定したことは、当時の論理としては極めて合理的かつ必然的な判断でした。
拡大造林政策という名の国家プロジェクト

1950年代から1970年代にかけて、政府は「拡大造林政策」を強力に推進しました。これは、成長の遅い天然の広葉樹林や、薪炭林(薪や炭を作るための雑木林)を皆伐し、そこに成長の早い針葉樹(主に杉や檜)を人工的に植林していくという、大規模な森林転換政策です。
「銀行に預金するよりも、山に杉を植えれば子孫に美田を残せる」というスローガンが叫ばれ、国は補助金を出して植林を奨励しました。農山村の人々も、将来の豊かな生活を夢見て、こぞって山に苗木を植えました。奥山の急斜面や、本来ならば杉の生育には適さないような場所に至るまで、日本中のあらゆる山林が人工林へと姿を変えていきました。
この時期、新聞やメディアも植林を「愛国的な行為」「国土保全の要」として称賛しました。植林キャンペーンが全国で展開され、学校行事として植林が行われることも珍しくありませんでした。つまり、特定の誰か一人を「戦犯」とするのは難しく、当時の政府、林野庁、そして国民全体が一体となって推進した「国策」だったのです。
高度経済成長と木材需要のピーク
高度経済成長期に入ると、建設ラッシュはさらに加速しました。住宅着工件数は右肩上がりに増え、木材の需要は国内供給だけでは追いつかないほどに膨れ上がりました。木材価格は高騰し、「山を持っているだけで大金持ち」という時代が到来しました。この経済的な成功体験が、さらなる植林を後押ししました。
当時、誰もが「木材価格は永遠に上がり続ける」と信じて疑いませんでした。将来、木材が売れなくなることや、花粉症というアレルギー疾患が国民を苦しめることなど、誰も予測していなかったのです。この時期に植えられた杉が、30年、40年という歳月を経て成木となり、現在、大量の花粉を飛散させる発生源となっています。皮肉なことに、当時の日本人が「未来のために」と汗水垂らして植えた木々が、今の私たちを苦しめる結果となっているのです。
杉を植えた戦犯と呼ばれる背景には何があるのか?林業衰退と貿易自由化
もし、植えた杉が計画通りに伐採され、利用されていたならば、これほど深刻な花粉症問題は起きていなかったかもしれません。問題の本質は、「植えすぎたこと」以上に、「植えた木が切られずに放置されていること」にあります。なぜ、日本の山は切られないまま放置され、花粉を撒き散らす巨大な発生源となってしまったのでしょうか。そこには、世界経済の波と日本の林業が直面した厳しい現実があります。
木材輸入の自由化という転換点
日本の林業にとって決定的な転換点となったのが、1964年(昭和39年)の木材輸入の完全自由化です。高度経済成長に伴う木材需要の急増に対し、国内の供給だけでは追いつかないと判断した政府は、外国からの木材輸入を全面的に解禁しました。
これにより、安価で品質の安定した外材(輸入木材)が大量に日本市場へ流入することになりました。北米や東南アジア、北欧などからの木材は、広大な平地で大型機械を使って効率的に伐採・搬出されるため、コスト競争力が圧倒的に高かったのです。一方、日本の林業は急峻な山岳地帯で行われるため、人手がかかり、機械化も難しく、コスト高にならざるを得ません。
円高が進行するにつれて、外材の価格優位性はさらに高まりました。住宅メーカーや工務店は、安くて使いやすい外材を好んで使うようになり、国産材のシェアは急速に低下していきました。かつて「金のなる木」と言われた杉や檜は、いつしか「売っても赤字になる木」へと変わってしまったのです。
採算の悪化と放置される森林

木材価格の暴落は、国内の林業経営を直撃しました。木を切り出し、市場へ運ぶためのコスト(伐採費、搬出費、運搬費)が、木材の販売価格を上回ってしまうという逆転現象が起きたのです。山主にとっては、木を切れば切るほど赤字になるという状況です。
その結果、多くの山林所有者が林業経営への意欲を失いました。手入れをされなくなった人工林は、荒廃の一途をたどります。本来、人工林は「植栽」「下刈り」「枝打ち」「間伐」といった適切な管理を継続的に行うことで、健全な森林として育ちます。しかし、手入れが放棄された山林では、木々が過密状態となり、日光が地面まで届かず、下草が生えなくなります。
ここで重要なのが、手入れ不足の杉林ほど、より多くの花粉を生産してしまうという説があることです。過密状態で生存競争に晒された杉は、種の保存本能から、より多くの子孫を残そうとして、大量の雄花(花粉の入った袋)をつける傾向があると言われています。また、枝打ちが行われないため、枝が多く残り、その分だけ花粉の発生源が増えてしまうのです。経済的な理由で放置された杉林が、花粉症被害を拡大させる温床となっているのが現実です。
労働力不足と限界集落の問題
林業の衰退は、山村地域の過疎化と高齢化を加速させました。かつて林業に従事していた若者たちは、職を求めて都市部へと流出し、山を守る人々がいなくなりました。いわゆる「限界集落」が増加し、山林の境界線さえ分からなくなっているケースも多々あります。
現在、国や自治体は「花粉症対策」として、花粉の少ない杉への植え替えや、伐採の促進に補助金を出しています。しかし、実際に作業を行うための「人手」が圧倒的に不足しています。林業は危険を伴う重労働であり、新規就業者の確保は容易ではありません。高性能林業機械の導入も進められていますが、急峻な日本の地形では使える場所が限られます。
「杉を植えた戦犯」を問い詰めたところで、実際にその杉を切る人がいない、切っても赤字になる、という構造的な問題が解決しない限り、事態は好転しません。所有者不明の土地が増えていることも、対策を難しくしている要因の一つです。誰の土地かわからないため、行政が勝手に手を入れることもできず、放置され続けるしかない杉林が日本中に点在しているのです。
杉を植えた戦犯という言葉の裏にある現代の課題
杉を植えた戦犯とされる歴史的背景と現状についてのまとめ
今回は杉を植えた戦犯という言葉の背景にある、日本の林業政策と花粉症の歴史についてお伝えしました。以下に、今回の内容を要約します。
・戦後の日本は空襲と乱伐により山林が荒廃し、治水と復興資材確保が急務であった
・成長が早く真っ直ぐ育つ杉と檜は、復興期の建材として最適と判断され採用された
・政府は拡大造林政策を掲げ、補助金を出して全国の山々を人工林へと変えていった
・当時は「銀行に預けるより山に植林」と言われるほど、林業は有望な産業であった
・1964年の木材輸入自由化により、安価な外材が大量に流入し国産材の価格が暴落した
・円高の進行や地形的不利により、日本の林業は国際的なコスト競争力を失っていった
・木材価格の下落により、伐採・搬出コストが販売額を上回る採算割れの状態が常態化した
・経済的価値を失った杉林は手入れされず放置され、過密化や枝の増加を招いた
・管理不足の杉は生存本能により、手入れされた杉よりも多くの花粉をつける傾向がある
・山村の過疎化と高齢化により、伐採や植え替えを行うための林業従事者が激減している
・所有者不明の山林が増加しており、行政による伐採や対策の介入を困難にしている
・花粉の少ない品種への植え替えは進められているが、成長サイクルが長く時間がかかる
・「戦犯」という言葉は使われるが、特定の個人ではなく当時の国策と経済情勢の結果である
・現在の花粉症問題は、戦後の復興政策の成功と、その後の経済環境変化のミスマッチにある
かつて国の未来を救うために植えられた希望の木々が、時代の変化とともに国民を悩ませる存在へと変わってしまった歴史は、非常に皮肉なものです。特定の誰かを責めるだけでは解決しないこの問題に対して、国産材の積極的な利用や森林環境税の活用など、私たち一人ひとりが関心を持ち続けることが大切です。長い年月をかけて作られた森林の姿を変えるには、同様に長い時間と根気強い取り組みが必要となるでしょう。



コメント