昭和から平成にかけての日本政治史において、竹下登という政治家が残した足跡は極めて巨大です。第74代内閣総理大臣として消費税導入などの重要政策を断行し、「経世会」のオーナーとして退陣後も政界に隠然たる影響力を保持し続けました。その巧みな政治手腕と調整能力から「カミソリ竹下」とも呼ばれた彼の背後には、強固な地盤と華麗なる一族の存在があったことは広く知られています。
また、現代において竹下登の名前が頻繁に語られる理由の一つに、孫であるタレントのDAIGOや、その妻である女優の北川景子の存在が挙げられます。かつての重厚な政治家の家系図の中に、現代のポップカルチャーを象徴するスターたちが名を連ねている事実は、多くの人々の関心を集め続けています。
本記事では、竹下登の家系に焦点を当て、そのルーツである島根県の旧家としての歴史から、政略結婚とも評された娘たちの婚姻関係、そして異母弟や孫たちへと受け継がれる「竹下家の血脈」について、詳細に解説していきます。単なる政治家の家系図にとどまらず、日本の現代史と芸能史が交錯する壮大なファミリーヒストリーを紐解いていきましょう。
竹下登の家系図から見る華麗なる親族関係
竹下登の政治家としての成功を語る上で、彼が生まれ育った環境と、その後に構築された親族ネットワークを無視することはできません。地方の有力者であった生家の歴史と、婚姻によって結ばれた政財界との太いパイプは、竹下登という人物が総理大臣の座に登り詰めるための強力なエンジンとなりました。ここでは、その家系のルーツと主要な親族関係について詳しく見ていきます。
島根県の造り酒屋という出自と実家
竹下登の生家は、島根県飯石郡掛合町(現在の雲南市)にある旧家です。実家は「竹下本店」という屋号を持つ造り酒屋であり、その創業は江戸時代にまで遡ります。300年以上の歴史を持つこの酒蔵は、地域経済の中心的な存在であり、当主は代々「庄屋」を務めるなど、地域社会における指導的な立場にありました。
地方の造り酒屋や醤油醸造元といった旧家は、戦前の日本において地域の政治的・経済的ハブとしての機能を果たしていました。多くの土地を所有し、小作人を抱え、地域の祭りや行事を取り仕切る立場にあったのです。竹下家も例外ではなく、登の父である竹下勇造は、掛合村の村長や島根県議会議員を務めた地元の有力政治家でした。
竹下登が政治家を志した背景には、こうした「地域のリーダー」としての父親の背中と、裕福で歴史ある実家のバックアップがあったことは間違いありません。特に、島根県という保守的な地盤において、数百年続く旧家の当主(登は長男でした)であるという事実は、選挙戦において絶大な信頼と集票力をもたらしました。彼のトレードマークとも言える「気配り」や「調整力」は、多くの人々が出入りする造り酒屋という環境で、幼少期から培われたものだとも言われています。
実家の酒造業は現在も続いており、竹下登の生家として、また銘酒を生み出す蔵元として、観光名所的な側面も持ち合わせています。この「伝統ある地方の名士」という出自が、竹下登の保守政治家としてのアイデンティティの根幹を成していたのです。
異母弟・竹下亘との関係と政治基盤の継承
竹下登の家系を語る上で欠かせないのが、異母弟である竹下亘の存在です。竹下登と亘は、父親は同じ勇造ですが、母親が異なります。登の母が亡くなった後、父が再婚した相手との間に生まれたのが亘です。年齢差は実に22歳あり、兄弟というよりは親子に近い関係性であったとも伝えられています。
竹下亘は、兄・登の政治基盤を直接的に受け継いだ人物です。慶應義塾大学を卒業後、日本放送協会(NHK)に入局し、経済部の記者として活躍しました。メディアの世界でキャリアを積んだ後、兄の秘書を経て政界入りを果たします。兄が築き上げた島根県の強固な地盤「竹下王国」を継承し、衆議院議員として長きにわたり活動しました。
亘は、自民党内でも要職を歴任し、第2次安倍改造内閣では復興大臣を務めるなど、兄譲りの実務能力を発揮しました。また、自民党竹下派(平成研究会)の会長も務め、派閥政治の力学もしっかりと受け継いでいました。兄・登が「総理大臣」として頂点を極めたのに対し、亘は「派閥の領袖」や「閣僚」として政権を支える役割を担いました。
この兄弟の関係は、単なる世襲という枠組みを超え、竹下家という一族が数十年にわたって国政に関与し続けるシステムを体現していました。兄から弟への地盤継承は極めてスムーズに行われ、支持者たちも「登先生の弟なら」と熱心に支援しました。これは地方政治における「家」への信頼がいかに厚いかを示しています。亘は2021年に亡くなりましたが、竹下家の政治的DNAを後世に繋ぐ重要な役割を果たした人物でした。
金丸信との親戚関係がもたらした政界への影響力
竹下登の政治力を飛躍的に高めた要因の一つに、「政界のドン」と呼ばれた金丸信との親戚関係があります。この関係は、竹下登の長女である一子(かずこ)が、金丸信の長男である金丸康信と結婚したことによって成立しました。これにより、竹下登と金丸信は「姻戚関係」で結ばれることとなったのです。
当時の自民党政治、特に田中角栄率いる田中派内において、竹下と金丸の連携は「金竹(こんちく)連合」と呼ばれ、派内での主導権争いや、その後の「竹下派(経世会)」旗揚げにおいて決定的な役割を果たしました。金丸信は、剛腕で知られる政界の実力者であり、調整型の竹下とは対照的ながらも相互補完的な関係にありました。
この娘の結婚は、単なる当人同士の結びつき以上に、政治的な同盟関係を強化する「政略結婚」としての側面が強かったと分析されています。両家の結合により、竹下派は盤石の体制を築き、竹下登の総理就任への道筋を確実なものにしました。親族の絆が政治的同盟の担保となる、まさに昭和の自民党政治を象徴するような関係性でした。
また、この婚姻関係を通じて、竹下家は小沢一郎とも遠縁の関係になります(金丸信の妻が小沢一郎の叔母にあたるため)。このように、竹下家を中心とした家系図を広げると、当時の政界中枢にいた主要人物たちが複雑な糸で繋がっていたことがわかります。竹下登が「経世会支配」を確立できた背景には、こうした重層的な親族ネットワークが存在していたのです。
娘たちの結婚相手から見る政財界との繋がり
竹下登には3人の娘がおり、それぞれの結婚相手を見ることで、竹下家がいかに広範なネットワークを築いていたかが分かります。
長女の一子が金丸家に嫁いだことは前述の通りですが、次女のまる子は、新聞記者である内藤武宣と結婚しました。内藤武宣は毎日新聞等の記者を経て、後に竹下登の秘書を務めるなど、竹下家の政治活動を内側から支える人物となりました。この次女・まる子の息子こそが、後に詳述するDAIGOです。マスメディア出身者を身内に取り込むことは、情報戦が重要となる政治の世界において大きなメリットをもたらしました。
三女の公子は、竹中祐二と結婚しました。竹中祐二は、竹中工務店の一族とも関連があると言及されることがありますが、一般的には実業家としての側面よりも、竹下家の親族としての静かなサポート役として知られています。
このように、竹下家の娘たちは、政界の有力者一族やメディア関係者と婚姻関係を結ぶことで、竹下登の政治基盤を多角的に補強する役割を果たしました。これは意図的な戦略であったかどうかは別として、結果的に竹下登の周囲には、政治、経済、メディアといった権力の中枢にアクセスできるルートが家族レベルで整備されていたことになります。
「閨閥(けいばつ)」という言葉があります。婚姻によって結ばれた親族関係が政治的・経済的な勢力となることを指しますが、竹下登の家系はまさに、昭和後期の日本における強力な閨閥の一つであったと言えるでしょう。これらのネットワークは、竹下登が退陣した後も、一族の影響力を維持する上で重要な基盤となりました。
竹下登の家系におけるDAIGOと北川景子の存在
21世紀に入り、竹下登の家系は全く新しい形で世間の注目を浴びることになります。それは、孫であるDAIGOのブレイクと、国民的女優である北川景子の家系入りです。かつてのような「権力の象徴」としての家系図ではなく、「華やかな芸能一家」としての側面が強調されるようになりました。ここでは、現代における竹下家の象徴とも言える彼らの存在と、その影響について掘り下げていきます。
孫・DAIGOの生い立ちと祖父・竹下登とのエピソード
ロックミュージシャンでありタレントとしても活躍するDAIGOは、竹下登の次女・まる子と内藤武宣の間に生まれました。本名は内藤大湖。彼が芸能界でブレイクするきっかけとなったのは、自身が「竹下登の孫」であることを公言し、その独特なキャラクターと「ウィッシュ」などのキャッチーなフレーズで人気を博したことでした。
DAIGOが語る祖父・竹下登のエピソードは、政治家としての厳格なイメージとはかけ離れた、温和で孫思いな「おじいちゃん」としての姿が中心です。例えば、DAIGOが子供の頃、祖父の消費税導入に対して学校で心無い言葉をかけられた際も、竹下登は「いつか分かってくれる時が来る」と優しく諭したといいます。また、祖父の在任中には、官邸や公邸に出入りしていたというエピソードも披露しており、最高権力者の私生活を垣間見ることができる貴重な証言者でもあります。
DAIGOの存在は、竹下登という政治家のイメージを「軟化」させる効果をもたらしました。かつての金権政治や派閥抗争のイメージが強かった竹下登ですが、孫の口から語られるユーモラスで愛情深いエピソードによって、若い世代にとっては「DAIGOの優しそうなおじいちゃん」という親しみやすいイメージへと変換されました。
また、DAIGO自身も祖父へのリスペクトを隠しません。自身の結婚式や重要な節目には必ず祖父への感謝を口にし、島根県の墓参りも欠かさないといいます。政治家にはなりませんでしたが、その「人たらし」と言われる愛され力や、場の空気を読む能力は、祖父から隔世遺伝した政治的資質であると評する声も少なくありません。
北川景子の家系入りによる芸能界との新たな接点
2016年、DAIGOは女優の北川景子と結婚しました。このニュースは日本中を驚かせ、祝福ムードに包まれました。トップ女優である北川景子が竹下家に嫁いだことは、竹下登の家系図に新たな、そして極めて華やかな1ページを加えることになりました。
北川景子は、その美貌と演技力で確固たる地位を築いていましたが、この結婚によって「元総理大臣の孫の嫁」という属性も加わりました。結婚披露宴には政財界や芸能界から多くの重鎮が出席し、その規模と豪華さは、かつての竹下家の威光を現代に再現したかのようでした。しかし、二人の醸し出す雰囲気はあくまで現代的でクリーンなものであり、古い政治一家の重苦しさは感じさせませんでした。
北川景子が竹下家の一員となったことで、竹下家のブランドイメージはさらに向上しました。彼女の知的で凛としたイメージは、名家としての品格と合致し、好感度を高める要因となりました。また、彼女自身も夫の実家や親族との関係を大切にしていると伝えられており、島根県の竹下家関係者からも歓迎されていると言われています。
この結婚は、竹下家がもはや単なる「過去の政治家の一族」ではなく、現代のエンターテインメント業界においても中心的な位置を占める「セレブリティ・ファミリー」へと変貌を遂げたことを象徴しています。政治権力とは異なる形での「ソフトパワー」を手に入れたと言えるかもしれません。
漫画家・影木栄貴を含む多彩な才能を持つ子孫たち
竹下登の孫には、DAIGO以外にも才能あふれる人物がいます。DAIGOの姉である影木栄貴(えいき・えいき)は、プロの漫画家として活躍しています。彼女は、主にボーイズラブ(BL)や少女漫画のジャンルで執筆活動を行っており、自身の家族をネタにしたエッセイ漫画などで、竹下家の知られざる日常をコミカルに描いています。
影木栄貴の作品を通じて、読者は「総理の孫」という特殊な環境で育った彼らの生活を、より身近なものとして感じることができます。彼女もまた、DAIGOと同様に祖父のことを敬愛しており、作品の中で祖父との思い出を温かく描くことがあります。政治家の家系から、ミュージシャンだけでなく漫画家というクリエイティブな才能が輩出されたことは、竹下家の血脈の多様性を示しています。
また、DAIGOの弟は一般企業に勤務しているとされていますが、兄弟仲は非常に良く、互いに支え合っている様子が伺えます。政治の世界に直接身を置く孫はいなくとも、それぞれの分野で第一線で活躍し、社会に影響を与えている点は、祖父・竹下登の「非凡さ」を受け継いでいる証拠と言えるでしょう。
かつて日本の舵取りをした政治家のDNAは、形を変え、音楽、演技、漫画といった文化的な側面から日本社会に彩りを与えています。これは、権力の世襲のみに固執せず、それぞれの自主性を尊重した竹下家の教育方針の結果かもしれません。
竹下登の家系についての総括
竹下登の家系は、島根県の伝統ある庄屋から始まり、昭和の政界を支配する一大勢力となり、そして現代においてはポップカルチャーのアイコンを擁する華麗なる一族へと変遷を遂げました。
その歴史を振り返ると、地縁・血縁を巧みに生かした政治基盤の構築と、時代の変化に合わせて新しい才能を受け入れる柔軟性の両方が見えてきます。造り酒屋の当主から総理大臣へ、そしてその孫はロックスターへ。このドラマチックな家系の物語は、日本の近代史そのものを映し出す鏡のようでもあります。
政治的な「竹下王国」としての力は、時間の経過と共に形を変えつつありますが、DAIGOや北川景子といった新たなスターの存在によって、その名前は形を変えて人々の記憶に刻まれ続けていくことでしょう。
竹下登の家系と現代に続く影響力のまとめ
今回は竹下登の家系についてお伝えしました。以下に、今回の内容を要約します。
・実家は島根県で300年以上続く老舗の造り酒屋「竹下本店」である
・父の竹下勇造も県議会議員などを務めた地元の有力政治家であった
・竹下登の異母弟である竹下亘は兄の地盤を継ぎ復興大臣などを歴任した
・長女が金丸信の長男と結婚したことで「金竹連合」と呼ばれる強力な関係が築かれた
・次女の夫は新聞記者出身で後に秘書となり竹下家を内部から支えた
・娘たちの結婚は政界やメディアとのパイプを強化する閨閥としての側面を持っていた
・孫のDAIGOは祖父譲りの「人たらし」な性格で芸能界で成功を収めた
・DAIGOの姉である影木栄貴は漫画家として活動し一族の日常を描いている
・女優の北川景子がDAIGOと結婚したことで家系に新たな華やかさが加わった
・竹下登は孫たちに対して非常に優しく消費税導入時の批判からも守ろうとした
・現在の竹下家は政治権力だけでなく文化的ソフトパワーを持つ一族となっている
・一族の結束は固く島根県の実家や墓所への敬意が世代を超えて受け継がれている
・竹下亘の死去により政界における直系のプレゼンスは変化の時を迎えている
・DAIGOと北川景子の子供たちは次世代の竹下家を担う存在として注目されている
竹下登という稀代の政治家から始まったこの家系の物語は、政治、経済、そして芸能という異なるフィールドを横断しながら、現在進行形で続いています。
かつての重厚な政治権力の象徴から、誰もが知る親しみやすいスターファミリーへ。その鮮やかな転身ぶりこそが、竹下家の持つ底力なのかもしれません。今後もこの華麗なる一族の動向からは目が離せません。

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